1917(大正6)年
北アルプス山小屋黎明期。
北アルプス南部最初の営業小屋「槍沢小屋」を創立した、松本市六九町の青年たち。
左:土橋荘三(信濃山岳会/26歳)
中:穂苅三寿雄(槍ヶ岳山荘初代/27歳)
右:山田利一(常念小屋初代/24歳)
のちに、「槍沢ロッヂ」として穂刈三寿雄が事業継続。
1919(大正8)年
小林喜作と山田利一が、「常念乗越〜東天井〜二俣〜槍沢〜槍ヶ岳」の松本平から槍ヶ岳までの当時最短ルートを拓く。
同年に「常念小屋」を開業。
広さは間口3間・奥行き4間。
左:初代主人 山田利一
右:2代目主人 山田恒男(6歳)
1919(大正8)年8月
常念小屋の寄せ書き帖「胸中のアルプス」に多くの登山家・文人の言葉や絵が記されています。
「大町桂月」山海の珍味!!!
当時は、お米と味噌は登山者が持参し、罠で獲れた兎の鍋が囲炉裏にかけられ、干鱈と山菜やキノコの煮物が登山者に振舞われていました。
1925(大正14)年
山田利一が「常念小屋〜一の俣」の登山道を拓き、同年「一の俣小屋」(現:横尾山荘の前身)を開設。
ハイカラな丸太小屋が多くの登山者に愛される。
昭和12年に、集団登山で一の俣小屋に宿泊した、三重県立桑名高等女学校の女学生の作文。
”お伽噺の繪に出て来るサンタクロースの家の様な風雅な家!(略)
私達はその家のかげを見つけるなり、誰も彼も皆小躍りして歓びの聲を張り上げた。”
1943(昭和18)年2月、某大学山岳部の失火により「一の俣小屋」焼失。
1956(昭和31)年
初代主人 山田利一、逝去。
1964(昭和39)年
1957(昭和32)年〜1979(昭和54)年
増築工事を繰り返し、現在の姿に。
1957年~:一の俣の木材伐採
1962年:現在の受付南側完成
1964年
歩荷に変わり、以降の建設工事は、ヘリで資材運搬。
上高地より常念小屋まで15分。
当時の機体は「SA-315B (通称:ラマ)」12,442mのヘリコプター高度記録。
1971年:現在の本館南側完成
1978年:現在の60年間・エンジン室完成
1979年:現在の食堂・厨房完成
現在は「AS-350B3」世界初エベレスト山頂着陸記録、で物資運搬。
1969(昭和44)年
常念小屋開設50周年。
戦後日本の山岳写真家/ナチュラリストを代表する田淵行男は、常念岳に206回登高し、多くの山岳写真を残しました。
また、常念乗越で高山蝶「タカネヒカゲ」の幼虫から成虫までの生態を解き明かして、細密画に記録しています。(安曇野市・田淵行男記念館・蔵)
1985(昭和60)年
信州大学医学部山岳部診療所、開設。
1992(平成4)年9月17日・18日
皇太子徳仁親王殿下が、独身時代最後の登山となった常念岳~蝶ヶ岳縦走で、常念小屋に御宿泊されました。
左:2代目主人 山田恒男
右から2番目:案内役 3代目主人 山田健一郎
2000(平成12)年
トイレ処理浄化槽等、設備運用開始。
2005(平成17)年~2015(平成27)年
建築家でもある3代目 山田健一郎。
小屋の修繕を繰り返す。
支配人:山崎直人。
山田恒男・健一郎と共に、30年以上に渡り小屋を守り続ける。
高山植物にも詳しく、キノコは鑑定士なみの目利き。
長年の遭難救助で、長野県警表彰受賞。
2017(平成29)年
二代目主人、山田恒男、逝去。
2019(令和元)年
7月27日、常念小屋、創立100周年。
2022(令和3)年
山小屋主人 第4世代 4代目 山田雄太。
涸沢ヒュッテでの山小屋スタッフ修業生活の4年間を終え、常念小屋に入る。
「額に汗して常念岳に登り、同じ屋根の下、常念小屋での一夜を過ごす方皆様に、良い思い出と共に無事下山して頂きたい。」
という創立当初からの常念小屋の想いを大切に、これからもスタッフ一同、快適な登山をサポートしていきます。